3年半の奇跡


今日、インコさんのお葬式をしてきました。

呼び方がころころ変わって申し訳ありません。
前回の記事では本名の「まぁちゃん」と書きましたが、このブログではずっと「インコさん」だったので、またインコさんに戻しますね。

 

お葬式は、「深大寺動物霊園」というところで、火葬にしていただきました。
生前から万が一の時のための動物霊園の情報を集めていて、候補は2件に絞れていました。
基準は「セキセイインコのような小さい子の骨もちゃんと残してくれること」でした。

亡くなった2日の夜、一晩考えて、こちらにお願いしようと翌3日の朝に電話をかけました。
しかし、生憎その日はもう予約でいっぱいとのこと。4日は私が外せない用事があったため、翌々日の5日に予約を入れました。
もう一つの候補の霊園にすることも考えましたが、亡くなった直後はこんな状態だったので

少し冷静さを取り戻してから、落ち着いて見送ることが出来てよかったかもしれません。

葬儀までの二日間は、長いようであり短いようであり…。
送るときに一緒に持たせるごはんを用意したり、お手紙を書いたり、写真を用意したり、それなりにやることがありました。

 

今日は出発がお昼過ぎだったため、午前中は葬儀用のお花やインコさんの好きだった豆苗を買ってきて、最後のお別れに、元気なころにお花見した公園に連れて行ったり、家の中でインコさんがお気に入りだった場所を見せて回ったりしていました。
たくさん話しかけて、インコさんとの生活が私にとってどんなに大切なものだったか伝えました。

 

火葬の前に二人きりで最後のお別れタイムを作って下さったのですが、もういっぱい話したので、あまり話すことはなかったです。ただ名前を呼んで、「さようなら、ありがとうね」と繰り返していたように思います。

火葬の間しばらく待ち、その後お骨上げをしました。
骨は少し位置がずれていたものの小さい骨もはっきり残っていて、係の方が「この骨は○○の部分で…」と丁寧に説明して下さいました。白くて小さくて、とても綺麗でした。

 

葬儀が終わりインコさんは小さい骨になって骨壺に収まって、飼い主といっしょにお家に帰ってきました。
お別れは辛いですが、お葬式というのは残されたものが区切りを付けるための儀式なんだな…と感じました。
もう体も虹の橋の向こうへ行けたので、お友達と楽しく遊ぶことができるようになったと思います。

 

2日に具合が悪くなり、また3年半前のような奇跡が起きるんじゃないか…と期待しましたが、この3年半がずっと奇跡だったのだと思います。
あの時のインコさんの状態なら、いつお空に帰ってもおかしくなかった。
それを、奇跡を起こして、3年半もの間、ずっと一緒にいてくれたんだと思います。

そのおかげでこの3年半、たくさんの思い出を作れました。

いったん持ち直して小康状態を保ってはいたものの、またいつ悪化するかわからないという意識が常にあったので、元気なときにいろんな経験をさせてあげよう、いろんなものを見せてあげようと思っていました。
天気のいい春の日は公園に一緒にお花見に行きました。秋には金木犀の香りをかいでもらいました。
家の中にいたら見られない背の高い木々や、青い空、野鳥さんの声も聞かせてあげました。

インコさんは迷惑そうだったし、私の自己満足かもしれませんが、それでも、一緒にそれらの経験が出来てよかったと思っています。

無事に葬儀を済ませたので、私も心の区切りを付けて、少しずつインコさんのいない生活に慣れていこうと思います。

 

こちらのブログですが、しばらくの間「休止状態に近い不定期更新」になるかと思います。

ただ、私は鳥さんとの暮らしが好きなので、もう少し落ち着いたら、また新しい家族を迎えるのじゃないかと思います。
その時はまたブログも再開できたらいいなと思います。

どうぞよろしくお願いします。

にほんブログ村 鳥ブログ セキセイインコへ
にほんブログ村